志村けんがいなくなってしまいました。
数日前 “志村けんが肺炎になり、コロナウイルスの陽性が判明しました” というニュースを聞いて以来、毎日心のどこかで志村けんを心配していました。”その後回復している” というようなニュースもネットで流れていたので、安心していたのに、今日午前10時頃突然 “志村けんさんが亡くなる” というニュースが飛び込んできました。
悲しい。悲しすぎます。追っかけやめちゃくちゃファンだったとかではないけれど、信じられなくて、悔しくて、涙が溢れてきました。
志村けんは生まれた時から当たり前のようにいて、志村けんのバカ殿様がある日は、当たり前のように番組を見て、志村どうぶつ園を見てほっこりして。そんな当たり前のように見ていた姿が突然なくなるなんて。本当に信じられません。コロナウイルスを本当に憎みます。
どうやったらこの気持ちが届くだろうと、この気持ちが伝わってくれて、一緒に届けてくれそうと思った研ナオコと、ハート数の多いTwitterのニュースにコメントを残し、心を落ち着かせると、短時間の間で自分のコアにある想いが溢れてきました。
きっと、こういった想いは、考えようと思って出てくるようなものではないので、綴ることにします。
働くことの意義
多くの人が今日の志村けんの訃報に悲しみ、そして、このニュースが流れるまでは”志村けん頑張れ” って願っていました。私も”コロナなんかに負けるな” って本気で願った。
こうやって多くの人の心を動かすのは、志村けんがこれまでコメディアンとして一所懸命働き、発信し、想いを持って仕事をしてきた証拠なんだと実感して、その偉大な存在の凄みを深く感じてしまいました。きっと、その裏には犠牲にしたもの、そこに掛けてきた時間が多くあったはずです。
働くってお金を得ること。でも、それ以上に、働くって人のためになって、必要とされ、役に立つこと。それがあってこそ、輝き、支持を受けるんだろうな。そんなことを感じました。
そうすることは、必ずしも簡単ではないし、楽でもないはず。でも、人に喜びを与え、感謝される仕事をする時にはつきまとうもののようにも思います。
私は人のために、世の中のために何ができているだろう。何を届けることができるだろう。
自分が世の中のためにできることはなんだろうと、本気で考えてしまいました。私は生きている。
志村けんのように大きなものを発信することはできないけれど、志村けんのように人々に親しまれ、楽しみを与え、感謝される仕事をしていたい。
そんな仕事をしなければ意味がないと、心が叫んでしまいます。
終わりがある
もうすぐ40歳になる私。昔は、訃報のニュースが流れてもあまり耳に留まることもなかったのに、最近は、訃報のニュースが流れると知っている有名人の名前が出てきて、その度に悲しい気持ちになります。元気に、普通にテレビに出ていた人たちがいなくなってします。”死”というものの存在を感じざるを得ません。
つい最近も、野村監督がお亡くなりになりました。先週も、みのもんたがけんみんSHOWを卒業しました。特別番組を見る度に涙が止まらず、あんなに元気だった人が、歳をとり、若い頃とは違う姿がそこにはあり。若い頃には感じることのなかった人間の儚さに触れ、生きる中で何が一番大切なことなのだろうかと、心の深いところの整理がつかずまま最近を過ごしています。
だからといって、歳をとるから、終わりがあるからと、悲しい気持ちになるだけなのはダメなように感じていて、今日の志村けんの訃報を聞いた時、また涙が溢れたのだけど、悲しみが少し落ち着くと不思議ですが、だからこそ今を大切に生きよう、今を頑張れ、頑張らないと、と、強い力が湧いてきました。
想いがあるから形になる
これまで志村けんが頑張ってきたから、当たり前のようにテレビに志村けんがいた。
見ていて落ち着くし、そうかーと思うことも多いから、志村どうぶつ園をみていた。それは、ただ何もなく存在していたのではなくて、志村けんがそうしてきたからあったものなんだと実感しました。
言葉にしなくても、想いがあれば、知らないうちに伝わることってたくさんある。言わないと伝わらないものもあるけれど、想いがなければ、どうやっても伝わらない。
ならば、想いや気持ち、やりたいことがあることは、行動しないともったいない。私たちには終わりがある。だからこそ、その日まで一生懸命に頑張って、残していかなければもったいない。そのためには、表に出さないと伝わらない。
私は、今、今日を生きている。元気に生きている。だから世の中のためにできることを。
Webデザイナーとして、私ができること。人の心に触れれる仕事をしていきたい。そう心に誓いました。
志村けんへ
志村けん。コロナに勝たれへんかったね。お酒が好きで、肝臓悪くてシジミスープでラーメン作ってるとか言ってった番組見たことあるよ。タバコも吸ってたし、コロナは肺にくるっていうし、どうしても勝たれへんかったんやろね。
仕事で頑張った分それも必要やったんよね。仕事で頑張った分普通の人じゃできないような楽しいこともできた?贅沢もできた?もうバカ殿様がないなんて信じられへん。志村どうぶつ園で見られへんくなるの信じられへん。
とにかく、志村けんがいなくなるなんて信じられへん。それ位、志村けんって大きな存在のある偉大な有名人やったよ。ここまで大きな存在があるなんて、全然気づかへん位当たり前の存在やった。すごい有名になるってそういうことなんかもしれへんね。
ありがとう。たくさんありがとう。
きっと、忙しい毎日やったやろう。ゆっくり休んでね。お疲れ様。
私、頑張るね。人のためになること、世の中のためになることをこれから一生懸命していくね。
志村けんがこんなに偉大やったっててことを知って、私すごいパワーもらったよ。今日、この世からいってしまったけど、その力はずっと健在やで。大切に受け継いでいくね。この世に残したそのパワー。
心からご冥福をお祈りいたします。これからもこの世のみんなに笑顔と笑いを与えてな。でも、ゆっくり安らかにな。
忘れへんで。これまでも、これからも、志村けん本当にたくさんの笑いと親しみと、日常の時間をありがとう。